学習塾廃業物語のはじまり④

はい、こんにちは・・・。

スーツにハンドクリームをこぼしてしまって傷心中のnabeサンです。

いつもブログを読んでくださり、ありがとうございます。

 

そろそろ公立高校入試も大詰めですね。

僕の場合、生徒とは言え他人の未来を心配している余裕があるのかという話ですが、今日も全力で現実逃避していきますのでよろしくお願いします!

 

さて、今回で4回目となりますこのブログ、実は2つの流れが進行しています。

僕の自己紹介としてのはじまりが①と②、なぜ学習塾FCでの開業に踏み切ったかというはじまりが③です。

 

今回の④では、②の続きのお話をしていこうと思います。

 

というわけで、今回のブログのタイトルは、

「1浪して入った国立大学から除籍処分を受けて22歳にして履歴書に4年間の空白を抱えたnabeサンが、人生で初めての就職活動を公共職業安定所でスタートさせた話」です。

パチパチパチパチ・・・。

なんでそんなことになったのかは、②のブログをご覧あそばせ。

 

 

もう20年以上前のことになるんですね。

バブルがはじけて就職氷河期になったのは。

 

当時はまだ年功序列が当たり前の時代。

「年長者をリストラして若者を採用しよう」なんて動きは全くなく、真面目に大学に行っていた友人たちも就職活動では苦労していました。

当然のことながら、履歴書に空白のある自分などまともな企業に就職できるはずがありません。

 

しかし、さすがに日曜日の求人広告で一生の仕事先(今は幻想ですね)を見つけるのもはばかられ、「公共職業安定所(ハローワーク)」に足を運ぶことにしました。

 

初めて行ったときのことはあんまり覚えていないけど、いつ行っても緊張はしますよね。

なんかね、空気がピリピリしてる

老若男女入り乱れて、常時一触即発の雰囲気

まぁ、誰も他人のことを気にしている余裕はないので、何の衝突も起こりませんが。

 

ハロワを使ったことのない人のために流れを説明しますね。

初めて利用するときは受付で求人者登録をします。

年齢とか職歴とか希望条件とか、簡単に書いて登録票と登録番号を発行してもらいます。

次回以降はそれを受付に見せて「検索用のパソコンを使いたいです」って言うと、パソコンを使えます。

制限時間は30分で求人票の印刷枚数の上限は5枚だったと思います。

登録番号があれば自宅のパソコンからもログインして閲覧することができます。

 

で、結局、僕はその中からガソリンスタンドを選びました。

 

理由はいくつかありますが、一番の理由は「世紀末だったから」ですかね。

当時、「ノストラダムスの大予言」というのがありましてね。

1999年7の月、恐怖の大王が降ってきて地球が滅亡すると言われていました。

今だからこそ「よもやよもや」と言えますけども、当時はもしかしたらって思っていたし、かなり強く願っていました。

「地球滅びろ」って。

 

それに2000年問題っていうのもありましたよね。

日付データの年号部分を西暦の下二桁で管理していたので、コンピュータが2000年1月1日を表す「1/1/00」を1900年1月1日と勘違いして大問題になるんじゃないかと言われていたアレです。

むしろ「うるう年の2000年2月29日」の方が大変だったようですが。

 

当時、学生だった僕の目には、今の時代に負けず劣らず世界は混乱しているように見えました。

では、混乱が続く社会で、どんな仕事に就いていたら有利に生きられるだろうかと考えたんです。

そこでたどり着いた答えが「未経験で始められて多少の技術が残りそうな仕事」だったんですね。

ただ専門知識も実務経験もないですから、選択肢はかなり絞られ、最終的に「ガソリンスタンド」ということになりました。

 

実際に働き始めて、電球やらバッテリーやらオイルなどは自分で交換できるようになりました。

そこまでは狙い通りでした。

 

しかし、1つ問題が生じました・・・。

実は社員として働き始めた店舗の上司とソリが合わなかったんです。

しかも人の好き嫌いの激しい人で、僕は何かと目の敵にされました。

毎日、何かしらの理由をつけては1時間の説教をされるようになりました。

目つきが気に入らないとか態度が気に入らないとか、人がせっかく話しかけてやっているのにお前は何様だとか、そんな理由です。

何度か退職の意思表示をしたのですが受け入れられず、何のために生きているのかわからない日々が続きました。

 

1年くらいは耐えたでしょうか。

やっと上司が異動してくれたので仕事を続けることができました。

 

その後、紆余曲折を経て、数年後、コーヒーショップを併設する新店の立ち上げを任されることになりました。

コーヒーショップはFCで、一か月間の東京研修がありました。

そこで初めて「FCで独立する人」に会い、それが「僕もいつかFCで独立しよう」と思うきっかけになりました。

ここが1つのターニングポイントでしたね。

 

しかし、またしてもここで問題が。

 

なんと、新店の立ち上げ責任者があの上司だったんです。

しかも上層部に取り入り、昇進して役職まで得ていました。

 

今度はどんなことになったかと言いますと・・・。

チラシに私物の携帯番号を連絡先として載せられました(もちろん通信費は自腹)。

それと、風呂に入っているときでもトイレに入っているときでも3コール以内に呼び出しに応じないとキレられました。

さらに、接客のロープレ中にうまく笑顔が出せないと、部屋中に響き渡るほどの声で「笑えーッ!」と怒鳴られたりしました。

 

もともと飲食業に興味があったので頑張りました。

しかし、オープンに必要な人員の半分も集まらず、オープンから毎日、午前5時から午前2時まで働く生活になりました。

そして、3か月たったあたりでうつ病を発症

しかもその後、自宅からもっと遠い24時間営業の店舗に責任者として送られ、完全に再起不能になってしまいました。

 

 

その後、退職。

自宅療養という名のもと、1年2カ月間、社会から隔絶された生活を送りました。

そのとき僕は29歳、だったかな。

正確な年齢は思い出せません。

 

まぁ、いっか、細かいことは。

 

こーんな感じで、人生のズンドコに落とされたnabeサン、ここからどうやって這い上がったのかは、また次回!