学習塾廃業物語のはじまり⑤

はい、こんにちは。

千秋楽まで残るは10日。

廃業を大みそかとするなら、そろそろクリスマスですね。

 

まぁ、クリスマスって言ったって、サンタが来なけりゃただの平日ですけどね。

 

荒ぶる心を必死に鎮めるnabeサンです。

今日もブログを読んでくださり、ありがとうございます。

 

今回はタイトル通り、④の続きのお話をしようと思います。

前回は、過労から心を病み、29歳にして1年2か月の自宅療養生活を送ることになったというところで終わりました。

 

では1年2か月間、何をやっていたのかというと、睡眠と食事とオンラインゲームですかね。

基本的に行動の選択権は自分になかったですけど。

 

例えば、目が覚めて体を起こせれば起きる。

空腹かつ体調が良ければ食事をとる。

めまいがひどければ目をつむり妄想と戦う。

耳鳴りがひどければ、「嵐は必ず過ぎ去る」と自分に言い聞かせて耐える。

耳鳴りが気にならなくなったら眠れる。

急激な眠気に襲われるたび、「今寝たら目が覚めないかも」という恐怖と戦って負ける。

そして眠りから覚めるたび、死ななかったことに安堵する。

直後、また耳鳴りやめまいに見舞われる1日を過ごすことに怯える。

それ以外の時間はオンラインゲームをする。

こんな感じで、かなりプログラムされた生活を送っていました。

 

まぁ、ゲームがあったのが唯一の救いでしたね。

それだけが生きている証でした。

 

当時というか、大学生時代からハマっていたのが「ファイナルファンタジーXI」でした。

サービス開始から2年目の「ジラートの幻影」から。

いわゆる「ジラ組」ってやつですね。

 

知っている人にしかわからないと思いますけど、タルタルで暗黒騎士をやっていましてね。

始めた当時は食事も高価だし、スシはないし、ヒーラージョブも限られていたし、つらいことばかりでした。

上限レベルの75になるのに3年くらいかかりましたね。

でも、そのおかげでオートリーダースキルは鍛えられました。

 

狩場の情報を集めて、最適な戦術とパーティ構成を考え、声をかけて必要なメンバーをそろえていく。

世の中にはいろんな人がいて、大変なことが多くて、何度も何度もやめようと思いました。

それでもやっぱり、最高の狩りができたときは本当に楽しくてね。

こんな僕でも生きていたら役に立てるのかもって、それが救いになりました。

 

そうこうしているうちに徐々に体調のいい日が増えていき、それに呼応して母親からの風当たりが強くなります

 

いつまで働かないでいるの?いい加減にして欲しいんだけど

 

こういうセリフって、うつ病の人に言ってはいけないよね~。

 

で、売り言葉に買い言葉。

こっちだって好きで生きているわけじゃないよ。死ねるもんなら死にたいくらいだ

 

問題です。

さて、この後、僕の母親は何と言ったでしょうか?

 

正解は、一番最後に書いておきます。

お楽しみに~。

 

その言葉のおかげもあって、まだ死ねないと思い直しました。

 

で、まずは8時17時の事務職の仕事をして体を慣らそうと思いました。

そこで求人広告を見ていった先が「実は保険会社だった」という。

 

そういう手法で人を集めている会社だから、ね、お察しください。

 

半年たったところで業績不振を理由に自己都合で退職したことにさせられました。

これらの経験から、自分の労働時間を自分で決められる立場、自分がいなくても収益をあげ続けるシステムを熱望するようになります。

 

そこでここからは、FCでの開業を目指し、FC展開している飲食業を転々としていきます。

当面の生活の糧を得ながら、FCってどういう仕組みになっているのかを内部から探ることにしたのです。

 

ところが、どこもだいたい運営しているのは大きめの法人ばかり。

個人で始めるという話は聞きません。

飲食FCの研修で出会った人は、退職金の2千万円をもとでに数千万円の借り入れをしたと言っていました。

同時に、その会社の加盟金が高すぎるだけだとも言っていましたが、どうやら全国展開しているFCはかなり高くつくようです。

 

それに加えて、店長職となるとブラックな職場ばかり。

仮に自分がオーナーになれたとしても、20~30代の子を年収200万円台で使い倒す勇気はありません。

仕方なく、FCによる飲食業での独立は諦めることにしました。

そして派遣社員へ。

 

2年以上は勤めたかな。

3交代で夜勤もこなして。

コミュニケーションは苦手だったけど、一生懸命働きました。

なんでも、3年間同じ会社で勤めあげると正社員に登用してもらえると聞いたので。

3ヶ月ごとに契約が更新されるたび、ささやかな夢ではあるけれど確実に近づいている実感がありました。

 

しかしですね。

人生には3つの坂があるんですね~。

 

1つ目は上り坂。

 

2つ目は下り坂。

 

そして3つ目は「まさか」。

 

「よもやよもや」ですよ。

 

何があったかは、また次回。

 

ところで、途中で出した問題、覚えていますか?

 

うつ病から立ち直りつつあった僕の言葉に、母親が返してきた言葉は何だったのか?

 

正解は、

ふざけんじゃないよ!

ここまで育てるのにいくらお金をかけたと思ってんの?!

今、死なれたらたまったもんじゃないよ!

でした。

 

そりゃそうだなと思って、これまでかけてもらった分のお金を返してから死のうと決めました。

結局、親からの借金は膨らむばかりで返すあてはないんですけどね。

 

今回もブログを読んでくださり、ありがとうございました。

「よもや」の続きは、また次回。

お楽しみに~。